2011年4月4日月曜日

僕達にできること。

こんにちは達也です(^^)

今日はハードだった一週間が終わり、束の間のオフ!!
ということで 、1人でゆったりしたくて、スタバのソファ席でブログ更新しました(^O^)

さて、先日、ホーリーホックの選手とスタッフ数人で茨城の水郷というところにある、避難所を訪問しました。

選手会のメンバーを中心に、僕達に何かできることを考え、チームとも相談して決まりました。
サッカーを通じて、特に子供達に少しでも元気になってもらいたい!!
そんな想いを持って向かいました。

水郷の避難所には、福島のいわき市周辺に住んでいる方が多く避難していて、体育館にダンボールで敷居を作って生活していました。


避難している方とお話をしたところ、多くの避難者の方はすでに仕事や学校の再開に伴って、福島に戻っているとの事でした。
だから、想像していたよりも避難している方は少なかったです。
ご飯もしっかり食べられるし、シャワーも浴びれる、洗濯機も用意してもらえていて、生活するのに不便なことはほとんどない。


しかし。


多くの方が福島に戻るなかで、今も避難所で生活している方にはそれなりの理由がある。


原発に近くて家に戻れない。
会社がなくなってしまって、戻っても仕事がない。収入がない。

僕にお話ししてくれた僕の母親くらいの女性の方は、福島の自宅から一時、県内の安全な親戚の家に避難したけれど、親戚も新潟に避難することになり、ついて行くわけにもいかず、あてもなく家族でとにかく南へ向かっている途中、たまたま立ち寄ったコンビニにいたお客さんに水郷の避難所を紹介されて、生活するようになったそうだ。

また、家、勤めていた会社が原発の近くで、会社自体がなくなってしまった。

仕事はもちろんないし、今まで数十年頑張ってきて、退職金とかいろんなことを考えて働いてきたのに、会社がなくなってしまったがためにそれもなくなってしまった。
家は何とか無事だけど、何年後に帰れるのか検討もつかない。
避難所の人数が減ってきて、避難所にいられなくなったら住むところがない。いつまで避難所にいられるのかもわからない。

収入がないから、どこかで仕事をしなければならない。でも雇ってもらうには、家がなくてはいけない。福島にいつか戻れると考えると、どこに住み、どこで働けばいいのか。このご時世、年齢の高い人が就職するのはそんなに簡単なことではない。
三人いる僕くらいの息子さん達もみんな職をなくし、これからまた仕事を探さなくてはいけない。

とにかく今生活できているけれど、近い将来に対しての不安が大きすぎる。どこに怒りをぶつけたらいいのかもわからない。と話してくれました。
正直、僕にはかける言葉が見当たりませんでした。
だから、とにかく必死に話を聞いて、力強く手を握りました。
どんな言葉をかけても薄っぺらくなってしまう気がして。


そして僕達にできること。

サッカー。

子供達と一緒にサッカーをしてきました。

子供達の笑顔、キラキラしてました。
その笑顔を見た周りの大人もとってもいい表情をしていたと思います。

笑顔って連鎖するんだなって思いました。

どれだけの笑顔の連鎖を作れたかはわからないし、避難所の何人の人のためになったかは正直わからない。
でも喜んでくれた人は間違いなくいた。
サッカーを通じて伝えられるものはあったと感じています。


僕達にできることがどれだけのことかはわからないけれど、できることは間違いなくある。

これからもまだまだ僕達にできることをやり続けていきたいと強く思っています。

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